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おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状

平成10年よりアサヒビール名誉顧問である中條さんの戦争中の体験及び考え方を綴ったものです。

 あるときニューヨークに家族で滞在する孫娘の馬場さんから届いたのが、1通の分厚い手紙でした。それには孫娘の馬場さんが通うアメリカのマスターズスクールの女性教師から課題が出たが、それが第二次大戦時の家族や知人の戦争体験者の話を聞こうということでした。そこで馬場さんはおじいちゃんの中條さんを頭に浮かべ、質問状という形でおじいちゃん宛に分厚い手紙を送ったのでした。

 この本は、その孫娘の馬場さんがおじいちゃんに送った質問状に答えていく形で、中條さんが戦争体験、そして考え方を述べていったものです。

 中條さんは、質問に対して真摯に、また率直な意見を述べながら答えています。これは孫娘の馬場さんに答えると同時に今の若い方にも述べているのだと思います。ぜひ本書を手にとって読んで欲しいと思います。

 詳しい内容紹介はこちらへ
 http://web.thn.jp/sisetu-bunkokan/hoka119.html


中條高徳さんの著書です。
ご興味のある方はどうぞ。

1.おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状

2.おじいちゃん日本のことを教えて―孫娘からの質問状

3.子々孫々に語りつぎたい日本の歴史

4.魂を抜かれた日本人―歴史に学ぶ日本人の生きざま (マイ・ブック)

5.立志の経営―アサヒビールの復活の原点とわがビジネス人生 (致知選書)

6.小が大に勝つ兵法の実践―アサヒビール再生の要因

7.おじいちゃんの「わが闘争」

8.兵法に学ぶ勝つために為すべきこと―アサヒビール起死回生の経営戦略と人生哲学

9.事の成るは成る日に成るにあらず―アサヒビールの奇跡 小説・中条高徳

『大東亜戦史』1 太平洋編

太平洋戦争(大東亜戦争)が始まってから66年がたちました。終戦(敗戦)記念日はご存知の方が多いのですが、この12月8日の開戦の日は意外と今の若い人たちは知らないようですね。この日もいろいろな意味で重要な日だと思いますが。いかがでしょうか? ちなみに報道関係ではこれに関連したものはほとんどありませんでした。

さて、その太平洋戦争(大東亜戦争)を各地域別にまとめたものがこれから紹介する書籍です。 大東亜戦争(太平洋戦争)時の各社の従軍記者たちが、自分の経験、体験したことを報道として記録したものです。

 様々な戦いのその場にいた記者たちが綴った、兵士とはまた違った見方の記録です。多少文学的表現も見られますが、これが発行された昭和40年代と現代とは時代背景が異なりますので、まあこれはよしと考えてご覧いただければと思います。しかし多くの従軍記者たちが、最前線へと向かい、そこで国民に知らせるためとはいえ、ある意味命がけだったと思います。軍の高級将校よりもよっぽど戦争の現場を見聞きし、実際の戦争と机上の空論とは随分と違うということを感じたのではと思います。そういった視点からも非常に貴重な報道記録だと思います。

 この第一巻の「太平洋編」は、『昭和16年秋、ひそかに姿を消した機動部隊は12月8日、真珠湾を奇襲した。その日から太平洋の海と空と島に攻防四年、戦艦大和の特攻出撃まで、連合艦隊の航跡を中心に、雲を染め、孤島を揺るがした日米激闘の姿を生き生きと刻む・・・・』(帯の紹介文より)という内容です。様々な戦いのその場にいた記者たちが綴ったもので、兵士とはまた違った見方の記録です。

詳しい内容はリンク先の私設文庫館−太平洋戦争編−の
http://web.thn.jp/sisetu-bunkokan/hoka130.html
に掲載されています。

そして上記のHPには、他に下記の書籍の紹介があります。
1.『補充兵記者』

2.『実録・比島報道部隊 サンパギタ咲く戦線で』


アマゾンにも報道関係の戦争体験記あります。
1.補充兵記者

戦時下の庶民日記

戦争中に様々な立場の人が書いた日記。

戦時下の庶民日記」
 青木正美著
 発行 株式会社日本図書センター
 発行日 1987年4月25日

 東京下町にて1953年に古本屋を開業した店主が、古本市場の片隅から発掘した数々の戦時下日記を紹介しています。11編の日記を著者の立場を理解しながら、戦争中に国民一人一人が戦地で、あるいは銃後でどのようなことを記していたかを肉筆日記を元に編集したものです。

 軍人を始として、留守を守る妻達の銃後の生活を綴った日記から、ある町長の感情を現さない日々刻々の出来事を淡々と記す日記まで様々な日記を肉筆の一部を紹介しながら筆者の思いを記しています。

 本来日記は公開するために書かれたものではありませんが、当時の人々は結構まめに日記をつけています。戦争体験が希薄な現代には、当時の生活や考え方を知る為には、大変貴重な資料となるわけです。

 ただ、そういう貴重な記録といっても、「実際には日記を書ける人というのは上級学校卒業あるいはその教育を受けた者に限られていたことからすると、本来の庶民の日記ではないのではないか」と著者は述べています。しかし、だからといってこの「日記作者達を庶民から除外は出来ない」とさらに著者は次のように述べています。「戦前戦中を垣間見、育った町の貧しい身辺にも努力して中学、師範学校などに通学していた人たちを見聞きした私はこの人たちを庶民から除外できない。」(終章 敗戦と戦後教育が私をつくった内の著者の文より引用)

 なにはともあれ、今となっては、書かれた方がどんな知識がある人であっても貴重な体験記録という事には違いないと私は思います。

そしてこちらの「私設文庫館 -太平洋戦争編-」のホームページの中にもいくつかの日記が掲載されていますが、その中で全文掲載をしているご夫婦の戦地での日記と銃後の日記とがそれぞれほぼ同じ時期にかかれたものがあります。是非そちらをお読みいただければ、当時の戦地の兵士の様子や銃後の妻達の生活などがよくわかるのではないかと思います。

こちらです。

 飢餓の比島 ミンダナオ戦記」 平岡 久著

「銃後の妻の戦中日記」     平岡 弥よい著


他にもこんな戦中日記がありますよ。

 中井英夫戦中日記 彼方より 完全版

 ある中学生の戦中日記―阪神空襲実録

 警報の鳴る町 私の戦中日記

 作家の戦中日記―1932‐45

 
 

死んでも死に切れない!

またしても、国が認めない戦争被害。

蟻の兵隊―日本兵2600人山西省残留の真相
  池谷 薫著 1470円 2007年7月25日発売 新潮社発行
  978−4−10−305131−2
  敗戦後も中国に残り、共産党軍と戦い続けた日本兵たちがいた。
  彼らに3年半もの死闘を強いたのは誰だったのか?
  元残留兵らの執念が暴きだした歴史の闇。

私が久しぶりに購入した新刊本が上記の『蟻の兵隊』です。
実は私の購読している静岡新聞・日曜日朝刊の読書欄にこの本の紹介記事が載っていました。
その紹介を読み、う〜んこんな事があったんだと思い、近くの書店へ行きましたが、在庫がありませんでした。日を改めて、市内の最近オープンした大きな書店へ行き、探しましたらありました。即買いでした。
それからは、集中した時間がなかなか取れないため、風呂に入りながらとかベッドに入って寝る前に読むとかしまして読了しました。ここではその読後感等を紹介しようと思います。

最初に思ったのは、この内容は最近話題になっている沖縄の集団自決の教科書検定の削除問題に似ていると思ったのです。
それは国と民衆との認知の面での戦いということでした

沖縄の集団自決の場合は、教科書の検定により一部記述を削除すると言うものでした。この場合問題なのは、教科書検定をする立場の方(委員)が、本当に公正な様々な立場から選ばれたのかという事に始まると思います。
国の考えに近い方が集められてはいなかったか?
どちらかというとタカ派的な小泉元総理大臣、安倍前総理大臣の意に沿う方が選ばれているような気がしてなりません。これでは本当の歴史を伝える事は出来ません。
特に若い方に教える歴史の教科書では、常に公正明大な立場で歴史を伝える事が必要だと感じます。

さて、本題の『蟻の兵隊』の紹介にすすみます。
これは既にご存知の方もあると思いますが、2006年夏に公開されたドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」監督の池谷さんが、約2時間の映画では全貌を伝える事が出来なかったため、活字にまとめたいと考え、執筆されたものです。
膨大な資料と元残留兵の方達の手記を基に編纂したとでも言ってよい、実に元残留兵のそれこそ血を吐く思いが綴られたある意味歴史に対する訴えなのです。

これはかなり衝撃的でした。
終戦後(ポツダム宣言受諾後)も中国の山西省でしかも現在の中国を作った共産党軍(八路軍)と、残留した日本人の兵隊が国民党の組織の一部となって戦っていたという事実があったのです。

シベリア抑留等で日本への帰国が遅くなった事は有名ですが、それ以外にこういう理由で帰国が大幅に遅くなった事があったのです。しかもそれが本人達の意思ではなく、所属軍隊の命令という形で蟻のごとく戦闘に明け暮れたのです。

現地除隊をした後、国民党軍のために山西省に残ったというのです。しかし、この現地除隊という処理を本人達は知らされずに上官からの命令で軍隊として戦っていたのです

そのために、この兵隊達は山西省太源で戦いをし、戦死した人も大勢いました。そして国民党の太源での敗北により、共産党軍の捕虜となり、ある人達は戦犯として長く抑留されました。そしてようやく日本に帰国すると、軍人ではなく、民間人としての帰国と伝えられたのです。

つまり長い間、終戦後も日本のためと言われ、中国山西省にて戦ってきた苦労が全くの見返りも無く、逆に「逃亡兵」として扱われ、彼らが求める戦後補償を拒否したのです。

この原因は軍司令官及び参謀の自分達の行動を正当化するため、更に自分達の保身のために行ったことです

しかもこの司令官と参謀は、戦後(昭和31年)の国会内での証言でも山西残留の件は自分達は命令した事は無いと完全に逃げています。その時に、山西省に残留した部下の将校や兵達の証言は、ことごとく無視されたも同然の扱いでした。

それは当時ポツダム宣言を受諾したという事は、「終戦後は一切軍隊としての戦争はしてはいけない」ということの為、「実際に中国山西省で戦争をしていた事実」を国が認めるわけにいかなかったという政策的な判断が国側にあったという状況もありますが、そういう事情があったにしても、実際に残留して戦った兵達、とくに戦死した方の遺族は残念無念だったと思います。
何のために、そして誰のためにわざわざ自分の意思でも無く残留したのかという自問自答の状況ではなかったかと思います。

年月が過ぎ、残留者達は帰国後ずっと、資料を集め証言を集め、国に対して兵隊として戦ったということを認めるよう個人的に請願は続けられました。
そして平成3年(1991年)に元残留兵たちは「全国山西省在留者団体協議会」を結成し、一丸となって請願を行う事になったのです。

しかし、国は終戦当時の考え方を変えずに年月が過ぎ、平成9年(1997年)にようやく国も重い腰を上げ、国会閉会後の参議院決算委員会にて山西残留問題が取り上げられるも、結局、最終的に国側の判断は、昭和31年の厚生省の見解にもとづき、進展は見られなかった。

元残留兵が動いたのは、平成13年(2001年)5月でした。軍人恩給の支給を求めて国を提訴したのです。軍人恩給支給が目的ではなく、恩給を勝ち取る事が残留後も軍籍があったことの証明だからという考えです。
しかし、東京地方裁判所では、平成16年4月訴えは認められず全面敗訴した。
そして、平成17年3月東京高等裁判所での判決は、またしても全面敗訴した。
最後に、平成17年9月最高裁判所は、上告を棄却した。

いずれも残留の意思に関しての判断が、軍の命令によるものとはいえない、という今まで通りの考え方が踏襲されたものだった。(高等裁判所では、一部不本意ながら残留と言う言葉が出たものの、判決には反映していない。)

この裁判の間に、高齢の元残留者たちは鬼籍に入る方が何人もあった。しかし残る人たち(80歳以上の高齢にもかかわらず)は、裁判をやり直す覚悟である。
嘘の歴史を残すわけにはいかない」これが全てだという。

日本軍の司令官・参謀の中に、こんな人たちがいたことが様々な悲劇を作り出したのだという思いがします。
そして、戦争中も終戦後もそれを国が国の体面のために、高級将校以外の将校・兵士を見殺しにしているのです。

参考
1.映画『蟻の兵隊』
  公式ホームページ
  http://www.arinoheitai.com/

2.「新・昭和史七つの謎4 初公開・大本営参謀の告白文書」
  「文藝春秋」2006年6月号記事
  ノンフィクション作家保坂正康著
「元大本営作戦参謀の朝枝繁春が、昭和20年8月に作戦命令を関東軍、北方軍、朝鮮軍、そして第一軍を管轄する支那派遣総軍に示達したことを、私家版の手記から明らかにした。その驚くべき内容は終戦後の帝国復興再建のために、日本軍将兵を中国大陸に温存せよということである。」つまり、国が深く関与していた事を思わせるということです。

3.白狼の爪跡―山西残留秘史
永富博道著 新風書房発行 1995年

ピアノも被爆した。

原爆は人間だけでなく、物にも深い傷を負わせた。
残された原爆の被災資料の中にこのピアノもあったのでしょう。
長い間弾かれなかったこの被爆ピアノが、調律師によって再生されたのです。
これはいかに戦争がおろかであるという事といかに原爆がこの地上から全てを抹殺する恐ろしい兵器である事が訴えられています。この二つのことを忘れてはいけません。
後世にこの事実を正確に伝えていく事が今の私達の為すべきことだと思います。
特に子どもや若い方に読んでもらうためにも、このような絵本という形が最適なのではないかと思います。
戦争経験者である松谷さんの思いをぜひとも皆さんで伝えていきましょう。

被爆ピアノ題材に絵本
  作家・松谷みよ子さん
   戦争の悲しみ伝える

 児童文学作家の松谷みよ子さんが、原爆の爆心地から約1・八キロの場所にありながら奇跡的に残ったピアノをめぐる実話をもとに、絵本「ミサコの被爆ピアノ」(講談社)を刊行した。松谷さんは「戦争や原爆を知らない、子どもや若い人たちに読んでもらいたい」と話す。
 物語は、1945年8月6日、広島に投下された原爆で被爆したミサコとミサコのピアノが主人公。ミサコの家は爆心地近くにあったが、大切にしていたピアノは、無数のガラスが突き刺さりながらも残った。年月を経て調律師によって再生されたピアノは、今も戦争の恐ろしさや悲しみを伝え続ける・・・・。
 執筆に当たり、昨年3月、ミサコのモデルとなった本人(「ミサコ」は仮名)と被爆ピアノに会いに広島へ行った。
 「(年が一つ違いで)ミサコさんは原爆を、私は東京の空襲を経験して戦争の時代を共有しているので気持ちがよく分かりました」
 憲法9条の改正問題や政治家の原爆投下容認発言など、戦争や核をめぐる環境が騒がしい。松谷さんは「本当にもう、無感覚になっているんじゃないかと思って。教育の場ではどこかで逃げているでしょう。先生が子どもにそういう話をしっかりしていかないと。私達(戦争経験者)が死んだら、どうなるのよって思うんです。』

静岡新聞 平成19年八月8日(水曜日) 夕刊 生活欄掲載

この本とピアノに関連したニュースがインターネットにたくさんあります。
いくつかご紹介しましょう。

 2007年7月7日(土) 読売新聞
 『被爆ピアノ」で戦争伝えたい 松谷みよ子さん絵本化・朗読 』
 http://www.yomiuri.co.jp/junior/articles_2007/070707-2.htm

 『読みきかせ、絵本大好きな方々のコミュニテイ えほん大好き』
 http://www.ehondaisuki.jp/news/01/412.html

 『講談社BOOK倶楽部:ミサコの被爆ピアノ』
 http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/misako/

などなどです。他にもたくさんの情報がありますよ。

戦争に関連したピアノといえば、特攻隊員が出撃前に弾いたピアノの話もあります。
こちらがそうです。
 私設文庫館 −太平洋戦争編− の中の
 http://web.thn.jp/sisetu-bunkokan/
 少年・少女向け戦争関連本コーナーのNO.5
 先生の忘れられないピアノ
 http://web.thn.jp/sisetu-bunkokan/kodomo-5.html

こちらも悲しい過去があるピアノの話です。あわせて読んでみて下さい。

原爆の日が近づいてきます。

また、あの忌まわしい日がきます。
人類最悪の兵器が初めて使われたあの日、ヒロシマ・ナガサキの原爆被爆の惨劇が2度と繰り返されないように、核廃絶を願います。

181人の原爆詩6日に刊行
 原爆の惨劇を克明につづった被爆直後の作品から、現代の視点で核兵器廃絶の願いを込めた作品まで、181人の原爆詩を収録した「原爆詩181人集」(コールサック社、2100円)が、広島原爆忌の6日に刊行される。
 「にんげんをかえせ」の詩句で知られる峠三吉の「『原爆詩集』の序」で始まり、栗原貞子や原民喜、福田須磨子ら代表的な原爆詩人の作品や、核兵器廃絶運動にも力を注いできた湯川秀樹博士の詩「原子と人間」などを収録。さらに今回の出版にあわせて約140人の現役詩人が参加、このうち約30人が新たな原爆詩を書き下ろした。
 問い合わせはコールサック社<電03(5944)3258>へ。

静岡新聞 平成19年8月4日(土曜日)夕刊 文化・芸術欄掲載より 】

最近の北朝鮮の核問題や、日本でも現役の閣僚が日本核装備論を持ち出すなど、米ソの冷戦時代以来、いやそれ以上の核に対する様々な情報が飛び回っています。残念なのは、日本人の中にも核兵器に対する危機感が以前と違って薄れてきたように感じます。どんな理由にせよ、核兵器は絶対に持ってはならないし、使ってはならないと思います。あの広島・長崎の被爆は絶対忘れてはならない事実なのです。ぜひ、今一度原爆の恐ろしさを見直しましょう。そういうためにもこの詩集には深い意味が込められていると思います。

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