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原爆投下のB29機長死去

 太平洋戦争の歴史がまた一つ消えていく。終戦後、既に60年を過ぎていることを実感することが多くなっています。

 11月1日、広島に史上初めて原爆を投下した米軍B29爆撃機の機長が死去、と各メディアが報道しています。
 (Googleの検索で約2000件でます。)


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 AP通信によると、11月1日、太平洋戦争の1945年8月6日、広島に史上初めて原爆を投下した米陸軍航空隊B29爆撃機「エノラゲイ」の機長と知られるポール・ティベッツ退役准将(当時大佐)が同日、アメリカオハイオ州コロンバスの自宅で病気のため死去したと伝えた。92歳だった。同氏のスポークマンが語った。

 アメリカイリノイ州クインシー生れ。陸軍士官学校などを経て、1937年ケンタッキー州の陸軍航空隊入り。1943年にB29爆撃機の試験飛行に参加する。44年秋、原爆投下の実行部隊である第509混成飛行団の指揮官に抜てきされた。原爆投下部隊の発進基地となったテニアン島で、原爆開発のための「マンハッタン計画」に関与し、爆撃機の整備や部隊の訓練などを担当した。広島への出撃前日の8月5日、自身の母親の名にちなみ、「リトル・ボーイ」の暗号名を持つウラン濃縮型原爆を搭載したB29を「エノラ・ゲイ」と名付けた。
 
 そして、エノラ・ゲイの機長として太平洋のテニアン島を離陸、1945年8月6日、広島に世界史上最初の原爆を投下した。一瞬にして約14万人の命が奪われた




 同氏は生前、「原爆投下は戦争を終結させるためだった」とか「原爆は大きな戦争を抑止してきた」とメディアの取材に語っていた。原爆投下の正当性を疑っておらず「後悔はとんでもない」と死去するまでこの考えをかえなかった。

 B29爆撃機の搭乗員の中には、戦後、原爆投下を後悔し、それの悲惨さを訴えた人も確かいたと思いますが、この機長はいかにも勝者のアメリカらしい都合の良い考え方だなと感じますが、実際にこの原爆の被害に遭われた方たちにすれば、この悲惨さや苦痛はそんな理由で正当化されるものではないと言われると思います。

 メディアもそこのところをもっと深く掘り下げて報道するという事は無いのでしょうか? 終戦後60余年経ても、今でも原爆症はなくなっておりません。それほど強力な影響を与える兵器だということをもっと伝えてください。ただ単に、死亡記事を報道するだけではなく、関連した記事を報道して欲しいです。原爆被害の日だけ報道するだけで、それ以外はほとんど報道しないという日本のマスコミは、(芸能情報などのワイドショー的な内容のものは毎日でも報道するのに・・・)反省するべきだと思います。



原爆関連情報

原爆の子
出演: 乙羽信子, 滝沢修, 清水将夫, 宇野重吉, 多々良純
監督: 新藤兼人
時間: 85 分
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
原爆の洗礼を受けた子供たちが綴った、胸をうつ作文を基に脚色。英国アカデミー国連賞も受賞した。近代映画協会の第1回自主映画作品。出演は、新藤監督映画に数多く出演している乙羽信子(『三文役者』『釣りバカ日誌5』)。

実録第二次世界大戦史 第五巻 戦争裁判と原爆の悲劇/アメリカの敵、日本
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