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死んでも死に切れない!

またしても、国が認めない戦争被害。

蟻の兵隊―日本兵2600人山西省残留の真相
  池谷 薫著 1470円 2007年7月25日発売 新潮社発行
  978−4−10−305131−2
  敗戦後も中国に残り、共産党軍と戦い続けた日本兵たちがいた。
  彼らに3年半もの死闘を強いたのは誰だったのか?
  元残留兵らの執念が暴きだした歴史の闇。

私が久しぶりに購入した新刊本が上記の『蟻の兵隊』です。
実は私の購読している静岡新聞・日曜日朝刊の読書欄にこの本の紹介記事が載っていました。
その紹介を読み、う〜んこんな事があったんだと思い、近くの書店へ行きましたが、在庫がありませんでした。日を改めて、市内の最近オープンした大きな書店へ行き、探しましたらありました。即買いでした。
それからは、集中した時間がなかなか取れないため、風呂に入りながらとかベッドに入って寝る前に読むとかしまして読了しました。ここではその読後感等を紹介しようと思います。

最初に思ったのは、この内容は最近話題になっている沖縄の集団自決の教科書検定の削除問題に似ていると思ったのです。
それは国と民衆との認知の面での戦いということでした

沖縄の集団自決の場合は、教科書の検定により一部記述を削除すると言うものでした。この場合問題なのは、教科書検定をする立場の方(委員)が、本当に公正な様々な立場から選ばれたのかという事に始まると思います。
国の考えに近い方が集められてはいなかったか?
どちらかというとタカ派的な小泉元総理大臣、安倍前総理大臣の意に沿う方が選ばれているような気がしてなりません。これでは本当の歴史を伝える事は出来ません。
特に若い方に教える歴史の教科書では、常に公正明大な立場で歴史を伝える事が必要だと感じます。

さて、本題の『蟻の兵隊』の紹介にすすみます。
これは既にご存知の方もあると思いますが、2006年夏に公開されたドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」監督の池谷さんが、約2時間の映画では全貌を伝える事が出来なかったため、活字にまとめたいと考え、執筆されたものです。
膨大な資料と元残留兵の方達の手記を基に編纂したとでも言ってよい、実に元残留兵のそれこそ血を吐く思いが綴られたある意味歴史に対する訴えなのです。

これはかなり衝撃的でした。
終戦後(ポツダム宣言受諾後)も中国の山西省でしかも現在の中国を作った共産党軍(八路軍)と、残留した日本人の兵隊が国民党の組織の一部となって戦っていたという事実があったのです。

シベリア抑留等で日本への帰国が遅くなった事は有名ですが、それ以外にこういう理由で帰国が大幅に遅くなった事があったのです。しかもそれが本人達の意思ではなく、所属軍隊の命令という形で蟻のごとく戦闘に明け暮れたのです。

現地除隊をした後、国民党軍のために山西省に残ったというのです。しかし、この現地除隊という処理を本人達は知らされずに上官からの命令で軍隊として戦っていたのです

そのために、この兵隊達は山西省太源で戦いをし、戦死した人も大勢いました。そして国民党の太源での敗北により、共産党軍の捕虜となり、ある人達は戦犯として長く抑留されました。そしてようやく日本に帰国すると、軍人ではなく、民間人としての帰国と伝えられたのです。

つまり長い間、終戦後も日本のためと言われ、中国山西省にて戦ってきた苦労が全くの見返りも無く、逆に「逃亡兵」として扱われ、彼らが求める戦後補償を拒否したのです。

この原因は軍司令官及び参謀の自分達の行動を正当化するため、更に自分達の保身のために行ったことです

しかもこの司令官と参謀は、戦後(昭和31年)の国会内での証言でも山西残留の件は自分達は命令した事は無いと完全に逃げています。その時に、山西省に残留した部下の将校や兵達の証言は、ことごとく無視されたも同然の扱いでした。

それは当時ポツダム宣言を受諾したという事は、「終戦後は一切軍隊としての戦争はしてはいけない」ということの為、「実際に中国山西省で戦争をしていた事実」を国が認めるわけにいかなかったという政策的な判断が国側にあったという状況もありますが、そういう事情があったにしても、実際に残留して戦った兵達、とくに戦死した方の遺族は残念無念だったと思います。
何のために、そして誰のためにわざわざ自分の意思でも無く残留したのかという自問自答の状況ではなかったかと思います。

年月が過ぎ、残留者達は帰国後ずっと、資料を集め証言を集め、国に対して兵隊として戦ったということを認めるよう個人的に請願は続けられました。
そして平成3年(1991年)に元残留兵たちは「全国山西省在留者団体協議会」を結成し、一丸となって請願を行う事になったのです。

しかし、国は終戦当時の考え方を変えずに年月が過ぎ、平成9年(1997年)にようやく国も重い腰を上げ、国会閉会後の参議院決算委員会にて山西残留問題が取り上げられるも、結局、最終的に国側の判断は、昭和31年の厚生省の見解にもとづき、進展は見られなかった。

元残留兵が動いたのは、平成13年(2001年)5月でした。軍人恩給の支給を求めて国を提訴したのです。軍人恩給支給が目的ではなく、恩給を勝ち取る事が残留後も軍籍があったことの証明だからという考えです。
しかし、東京地方裁判所では、平成16年4月訴えは認められず全面敗訴した。
そして、平成17年3月東京高等裁判所での判決は、またしても全面敗訴した。
最後に、平成17年9月最高裁判所は、上告を棄却した。

いずれも残留の意思に関しての判断が、軍の命令によるものとはいえない、という今まで通りの考え方が踏襲されたものだった。(高等裁判所では、一部不本意ながら残留と言う言葉が出たものの、判決には反映していない。)

この裁判の間に、高齢の元残留者たちは鬼籍に入る方が何人もあった。しかし残る人たち(80歳以上の高齢にもかかわらず)は、裁判をやり直す覚悟である。
嘘の歴史を残すわけにはいかない」これが全てだという。

日本軍の司令官・参謀の中に、こんな人たちがいたことが様々な悲劇を作り出したのだという思いがします。
そして、戦争中も終戦後もそれを国が国の体面のために、高級将校以外の将校・兵士を見殺しにしているのです。

参考
1.映画『蟻の兵隊』
  公式ホームページ
  http://www.arinoheitai.com/

2.「新・昭和史七つの謎4 初公開・大本営参謀の告白文書」
  「文藝春秋」2006年6月号記事
  ノンフィクション作家保坂正康著
「元大本営作戦参謀の朝枝繁春が、昭和20年8月に作戦命令を関東軍、北方軍、朝鮮軍、そして第一軍を管轄する支那派遣総軍に示達したことを、私家版の手記から明らかにした。その驚くべき内容は終戦後の帝国復興再建のために、日本軍将兵を中国大陸に温存せよということである。」つまり、国が深く関与していた事を思わせるということです。

3.白狼の爪跡―山西残留秘史
永富博道著 新風書房発行 1995年

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