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あなたは知っていましたか?

広島・長崎に投下された原爆の模擬弾が存在していたこと、そしてそれが実際投下されていたことを
それが昭和20年7月26日、静岡県島田市の扇町に投下されたたった一発の爆弾です。当然ながら、投下された当時はそれが模擬弾だとわかるはずもありませんが、戦後の調べで模擬弾だと判明したようです。いかにアメリカが原爆投下に対して、用意周到だったかがよくわかりますね。
そして、このあとほんの10日ほど後に、あの広島に人類最初の
原爆が投下されるのです。考えさせられますね・・・。

島田空襲の悲惨さ後世に
昭和20年7月26日原爆模擬弾投下
扇町被爆者を慰霊
 昭和20年7月26日、島田市扇町に原爆の模擬爆弾が投下され、多くの犠牲者が出た

「島田空襲」の悲惨さと平和への願いを後世に伝えようと、市と市平和祈念事業実行委は6月26日、「扇町被爆者慰霊のつどい」を同市の扇町公園で開いた。遺族や関係者ら150人が参列した。

 全員で黙とうした後、高木博之副市長が式辞を述べた。続いて、遺族・被爆者代表の村田守康さん(65)が平和の誓いを行い、母親が抱いて守ってくれたこと、その母親の首から20年後に爆弾の破片が見付かったことなどを振り返って「子供、孫、後世に戦争の悲惨さを語り継がなくてはならない。風化させてはいけない」と訴えた。
 島田二小6年の安原香弥さん、滝俊介君は授業で習った戦争について触れ、「扇町の被爆を知り、本当に悲しくなった。戦争は二度としてはいけない」と語った。
 参列者代表の献花に続き、コーラスグループ「パルファム」とともに全員で「千の風になって」などを歌い、犠牲者の冥福を祈った。
 島田空襲は昭和20年7月26日の朝八時半ごろ起きた。同市扇町に「パンプキン爆弾」と呼ばれる五トンの原爆の模擬爆弾が投下され、33人が即死するなど大きな被害が出た。56年に祈念碑が建立され、犠牲者47人の名前が刻まれている。』

静岡新聞 平成19年7月27日(金曜日)朝刊 地方欄掲載

この島田市扇町被爆の記録が「島田市戦時資料を集める会」が編集、「島田市平和祈念式典実行委員会」が発行しました『島田市扇町 被爆の記録』です。

この内容紹介がこちらのホームページにあります。

「私設文庫館 −太平洋戦争編−」
http://web.thn.jp/sisetu-bunkokan/の中の
地方団体発行欄NO.141「島田市扇町・被爆の記録」
http://web.thn.jp/sisetu-bunkokan/tihou141.htmlです。

ぜひご覧になってみてください。
もっと詳しい内容を知りたい方は図書館に問い合わせした見てください。蔵書としてあるはずです。

このような地方の記録は探せばまだまだあるはずです
そしてその貴重な体験記や記録を後世に残すことが必要だと思います。さらにそれを公表する事(国民が閲覧できる状態にすること)が戦争体験を埋もれさせない事になると思います。
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